日本語 English
開講年度/ Academic YearAcademic Year |
20242024 |
科目設置学部/ CollegeCollege |
文学部/College of ArtsCollege of Arts |
科目コード等/ Course CodeCourse Code |
AN342/AN342AN342 |
テーマ・サブタイトル等/ Theme・SubtitleTheme・Subtitle |
ドイツの近代社会と思想 |
授業形態/ Class FormatClass Format |
対面(全回対面)/Face to face (all classes are face-to-face)Face to face (all classes are face-to-face) |
授業形態(補足事項)/ Class Format (Supplementary Items)Class Format (Supplementary Items) |
|
授業形式/ Class StyleCampus |
講義/LectureLecture |
校地/ CampusCampus |
池袋/IkebukuroIkebukuro |
学期/ SemesterSemester |
秋学期/Fall semesterFall semester |
曜日時限・教室/ DayPeriod・RoomDayPeriod・Room |
水5/Wed.5 Wed.5 ログインして教室を表示する(Log in to view the classrooms.) |
単位/ CreditsCredits |
22 |
科目ナンバリング/ Course NumberCourse Number |
GRL3800 |
使用言語/ LanguageLanguage |
日本語/JapaneseJapanese |
履修登録方法/ Class Registration MethodClass Registration Method |
科目コード登録/Course Code RegistrationCourse Code Registration |
配当年次/ Assigned YearAssigned Year |
配当年次は開講学部のR Guideに掲載している科目表で確認してください。配当年次は開講学部のR Guideに掲載している科目表で確認してください。 |
先修規定/ Prerequisite RegulationsPrerequisite Regulations |
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他学部履修可否/ Acceptance of Other CollegesAcceptance of Other Colleges |
履修登録システムの『他学部・他研究科履修不許可科目一覧』で確認してください。 |
履修中止可否/ Course CancellationCourse Cancellation |
〇(履修中止可/ Eligible for cancellation) |
オンライン授業60単位制限対象科目/ Online Classes Subject to 60-Credit Upper LimitOnline Classes Subject to 60-Credit Upper Limit |
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学位授与方針との関連/ Relationship with Degree PolicyRelationship with Degree Policy |
各授業科目は、学部・研究科の定める学位授与方針(DP)や教育課程編成の方針(CP)に基づき、カリキュラム上に配置されています。詳細はカリキュラム・マップで確認することができます。 |
備考/ NotesNotes |
2019年度まで「文学講義112(ドイツの身体文化)」 |
This course will concentrate on the 18th century German society and culture, dealing with such topics as Enlightenment (Aufklärung), (master) narratives and conspiracy theory.
In understanding the formation of modern German society, it is worth looking back to the 18th century.
The contemporaries used the term Enlightenment to characterize their century. From this perspective we will scrutinize what concerns they had, what kind of problems they were confronted with and how they tried to solve them.
Enlightenment, Lumières and Aufklärung – these terms have in common semantic components related to “light” and serve as a synonym for “Reason.”
This (self-)image of the “Age of Reason” doesn't contradict the fact that the reality in which people lived was far from being a “rational” one. Rather, Enlightenment was conceived as a sort of ideal state, originating from a disdain and wariness towards irrationality and ignorance.
In this course, we will focus on various narratives to capture the images, desires, and fears that people held. Narratives circulating in society can provide clues to understanding the expectations and fears of those who created, received and disseminated them.
Examining the "Age of Enlightenment" from a narrative perspective may also shed light on the connection between recent discussions on "conspiracy theories" and the Enlightenment. Narratives labeled as conspiracy theories often have contain ridiculous and irrational content. At first glance, Enlightenment and conspiracy theories may seem contradictory. However, Enlightenment thinkers were sometimes entangled in conspiratorial views and even actively propagated them.
From this perspective, we will also consider issues bridging the Enlightenment era of the 18th century and the contemporary challenges of the 21st century.
1 | 「あらゆる可能な世界のなかで最善の世界」―― 18世紀ドイツの社会と思想:序論 哲学者ライプニッツが『弁神論』(1710)で唱えた最善世界説を手がかりに、18世紀初頭における思想状況を説明します。あらゆる可能な世界のなかから創造主としての神が最善の世界を選んだというこの理論は、現実の世界を可能性の観点から見ることを教えるものです。 ゴットシェートの『批判的詩学試論』(1730)は、ライプニッツの可能世界論を文学テクストの制作に適用します。それは文学を、現状とは違う生き方を考える手段としてとらえる方法でもありました。 |
2 | 「しかし、僕たちの庭を耕さなければなりません」―― 弁神論の運命:神から人間へ ライプニッツの最善世界説(オプティミズム)は誰にでも受け入れられたわけではありません。とりわけ、数万人の死者を出したとされるリスボンの大地震(1755)は、そうした世界観の魅力を疑わしいものにしました。ヴォルテールが1759年に発表した『カンディード』は、世界を解釈する主軸がもはや宗教のように超越的なものでなく、人間社会に内在的なものに移っていたことを示すものといえます。 |
3 | 「地球にこんなにたくさんの住人がいるのに、他の惑星には全く住人がいないとしたら、大へん奇妙なことだろうなと思っているのですよ」―― 宗教的世界観と科学的世界観 フォントネルの『世界の複数性についての対話』(1686)は、ある「哲学者」が「侯爵夫人」を相手に夜空を見上げながら、宇宙の構造について語るという架空の対話です。18世紀になっても版を重ね、ドイツ語を含むさまざまな言語に翻訳されました。新しい自然科学(天文学)の知見と古くからある対話体のスタイルを結合させたこの著作の成功は、宗教的世界観から科学的世界観へのシフトが、学問(真理)の分野だけでなく、文学(ナラティヴ)の分野でも生じていたことを示しています。 |
4 | 「おとぎ話を聞かせるのは、子ども相手とはかぎらぬのだ」―― 寛容:異なる信仰同士の関係 レッシングの戯曲『賢者ナータン』(1779)の舞台は、12世紀末のイェルサレム。十字軍遠征の停戦後、ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が同じ空間に共存するという状況が生まれました。 ユダヤ人商人のナータンは、イェルサレムを支配するスルタンから難問を突き付けられます。この三つの宗教のうち、どれが最も優れているか、と。ユダヤ教と答えれば、スルタンを侮辱することになり、残りの二つを選べば、なぜユダヤ教に留まるのかと問い詰められる。 この苦境を切り抜けるためにナータンが語る「三つの指輪」の寓話は、信条や文化を異にする人間同士が。互いの存在を排除せず生きていく可能性を示す興味深いナラティヴの実例です。 |
5 | 「啓蒙とは、自ら引き起こした未成年状態から抜け出すことである」―― 未完のプロジェクトというナラティヴと市民的公共性 カントの論文「啓蒙とは何か」(1784)は『ベルリン月報』という啓蒙主義の代表的雑誌に発表されました。「未成年状態から抜け出すこと」という啓蒙の定義は、まさしく「成長」というナラティヴにほかなりません。 ただ、「自分自身の知性を用いる勇気をもて」という彼の標語にもかかわらず、カントは啓蒙の成否が個々人の決意だけでなく、自由なコミュニケーションが保証されるという社会的条件に依存すると考えていました。そのための基盤こそ、18世紀中葉に確立する出版メディアにほかなりません。 カントの論文と同時期に進行していた『プロイセン一般ラント法』編纂の過程を参照しながら、彼の啓蒙論の意義と限界について考察します。 |
6 | 「民衆にとって欺かれることは有益か?」―― 啓蒙・ナラティヴ・民衆 ベルリン王立アカデミーは、1780年に「民衆にとって欺かれることは有益か?」という懸賞課題をかかげます。 啓蒙とは、ほとんどの論者にとって民衆の啓蒙を意味しました。その前提自体に疑いをかけるようなこの懸賞課題は、啓蒙主義者たちから驚きと怒りをもって受け止められます。 さらに驚くべきことに、この課題の発案者は、プロイセン国王フリードリヒ二世その人だったのでした。 |
7 | 「まさにその時、高く架けられた橋の上から汚物入れの異臭を放つ〇〇が滝のごとく川の流れに投げ捨てられ……」―― 市民的公共性の政治的機能(1) プロイセンの王都ベルリンは、フリードリヒ二世の治下(1740-1786)に大きく発展しました。ドイツ語圏における啓蒙の中心地にもなります。 カントの啓蒙論(1784)を掲載した『ベルリン月報』はその代表的雑誌ですが、この『月報』の編集者を中心とする秘密結社「ベルリン水曜会」は、プロイセンの社会と思想状況に関する活発な議論の場となる一方、『月報』に掲載される論考の「編集会議」のような機能も果たしていました。 会員の一人でありフリードリヒ二世の侍医でもあったメーゼンは、急速に都市化したベルリンの劣悪な衛生状況について鋭い批判の目を向けます。 |
8 | 「当地で最も自殺者が多いのはいかなる部類の人か?」―― 市民的公共性の政治的機能(2) ベルリン水曜会では、当時の知識人が関心をもつありとあらゆることが論じられています。秘密結社だからこそできたことですが、水曜会での講演原稿が『ベルリン月報』に掲載される際には、検閲を意識せざるをえませんでした。 フリードリヒ二世崩御後の1787年、メーゼンは水曜会でベルリンの自殺者について講演をおこないます。医療行政にたずさわっていた彼は、統計資料を分析し、兵士の間で自殺が突出して多いことを示しました。 ただ、講演原稿が『ベルリン月報』でも掲載されるにあたり、この最も重要な論点については公表を控えざるをえませんでした。 |
9 | 「プロテスタントの教会でカトリックの礼拝を認めるという間違った寛容」 ―― 反転する寛容 『ベルリン月報』誌上には、さまざまなテーマの論争が見られました。編者の一人ビースターがペンネームで掲載した反カトリックの論考(1784)は、当時有名な哲学者ガルヴェの反論(1784)をきっかけに、啓蒙と反啓蒙、自由と寛容をめぐる大きな論戦に発展します。 この論争のなかでビースターは、当時プロテスタントの啓蒙主義者たちの間で流布していた「旧イエズス会士たち」の陰謀という議論を援用します。啓蒙と陰謀論のつながりについて考察します。 |
10 | 「ありそうもないことだと認めるより、奇跡を信じることを望むのですか?」―― 懐疑と妄信 街中で怪しげな謳い文句で興味を集め、人々の無知につけこんでお金を巻き上げるようなペテン師は、ヨーロッパのオペラや演劇や絵画でよく目にするキャラクターです。「シャルラタン」とも呼ばれるこうした人々は、とりわけ知識人たちにとって嫌悪・危惧すべき存在だったと言えます。 ペテン師たちの目的は金銭だけでなく、王侯貴族に取り入ることで権力まで利用しようとしている――そう感じた啓蒙主義者たちは、こうしたペテン師たちと彼らに騙される人々の両者に対して、さまざまな手段で対抗しようとしました。 そうした関心を示す一つの例が、シラーの未完に終わった連載小説『招霊呪術師』(1787-89)です。迷信や妄信と闘おうとする啓蒙主義者が、なぜ陰謀論的な見方をとってしまうのか、そのメカニズムを考えていきます。 |
11 | 「プロテスタンティズムを掘り崩し、理性を屈服させようとする教皇庁の隠れたたくらみ」―― 啓蒙と陰謀論 陰謀論の本を読むと必ず目にするのが「イルミナーティ」の名前です。歴史的に実在したこの秘密結社には、1780年代半ばに禁止されるまで数多くの啓蒙主義者たちが参加しています。 イルミナーティたちは当初から、イエズス会に強い反感をもっていました。イエズス会は1773年に解散させられたにもかかわらず、その影響力はまだ衰えていませんでした。 旧イエズス会士たちがプロテスタント諸国で秘密裡に活動し、カトリック教会の影響を強めようとしている――そんな陰謀論がイルミナーティたちにより作られ、流布していくことになります。その際、陰謀の証拠とされたのが、17世紀初めに書かれた偽書『イエズス会の秘密指令書』(1614頃)でした。 |
12 | 「理性は、至高の存在者の現存在に達するという意図にはとうてい十分ではない」―― 思考および/または政治の革命 カントの『純粋理性批判』(1781)は、幾何学や天文学のような確固とした学問の成果を哲学(形而上学)にももたらそうとする意図から、「思考方法の革命」を唱えました。人間の認識能力そのものを分析し、その限界を見定めようとしたのです。 彼の考察は、人間の認識が経験の範囲を超えられないこと、言い換えると、死後の生や神についてはいかなる理論的認識もありえないという結論に行きつきました。18世紀初頭にライプニッツが、全知全能の神の創造した最善の世界という想定から出発したのとは、まったく違う思想状況が生じたと言えます。 人間の理解能力を超えるものに対する原則的な疑念は、超自然的なものに基盤をもつ権威――とりわけ教会(宗教)や国家(政治)――への批判に転じていきます。 『純粋理性批判』の八年後、1789年にはフランスで民衆の蜂起により王政が倒されます。同時代人にとって、思想と政治の分野で生じたこの二つの「革命」は、偶然の一致などでなく、まったく新しい時代の到来を告げ知らせるものとして受け取られました。 |
13 | 「貴殿はささやかな晩餐だといって招待されたのに、盛大な祝宴、友愛の祝宴を開かれるとは」―― 仮面の政治議論:公開性と秘匿性の交錯 フランス革命の衝撃は、ヨーロッパやアメリカの各地でさまざまな反応を引き起こしました。プロイセンでは、フリードリヒ二世の没後、古い体制に逆戻りするような動きが見られ、それまでは緩かった検閲も厳しくなっていきます。 ベルリン水曜会のメンバーであったクラインの『自由と所有』(1790)は、フランス革命を経て、社会制度のあるべき姿について論じた著作です。18世紀に広く使われた対話体のスタイルで書かれましたが、後年クラインは水曜会で実際におこなわれた議論をヒントにしたと語っています。 ただし、その登場人物には古代ギリシア人風の名前がつけられています。政治的状況がまったく新しいものになったにもかかわらず、知識人たちは古い様式の考察によって対処しようとしたのです。 |
14 | 啓蒙・ナラティヴ・陰謀論――これまでの議論を振り返る 授業であつかってきた18世紀のさまざまなトピックをもとに、21世紀の現代につながる問題を、受講者のみなさんと一緒に考えます。 |
板書 /Writing on the Board
スライド(パワーポイント等)の使用 /Slides (PowerPoint, etc.)
上記以外の視聴覚教材の使用 /Audiovisual Materials Other than Those Listed Above
個人発表 /Individual Presentations
グループ発表 /Group Presentations
ディスカッション・ディベート /Discussion/Debate
実技・実習・実験 /Practicum/Experiments/Practical Training
学内の教室外施設の利用 /Use of On-Campus Facilities Outside the Classroom
校外実習・フィールドワーク /Field Work
上記いずれも用いない予定 /None of the above
毎回の授業に関連するテクスト(翻訳)を共有します。授業の内容を理解するには、これらのテクストをあわせて読むことが必須となります。
種類 (Kind) | 割合 (%) | 基準 (Criteria) |
---|---|---|
平常点 (In-class Points) | 100 |
レポート(40%) リアクションペーパー(60%) |
備考 (Notes) | ||
なし/None
No | 著者名 (Author/Editor) | 書籍名 (Title) | 出版社 (Publisher) | 出版年 (Date) | ISBN/ISSN |
---|---|---|---|---|---|
1 | カント | 『啓蒙とは何か 他四篇』 | 岩波書店 | 1974 | 9784003362525 |
2 | シラー | 『招霊妖術師』 | 国書刊行会 | 1980 | 9784336025197 |
3 | ライプニッツ | 『モナドロジー 他二篇』 | 岩波書店 | 2019 | 9784003361696 |
4 | ハーバーマス | 『公共性の構造転換 市民社会の一カテゴリーについての探究』 | 未來社 | 1994 | 9784624011239 |
5 | 蔵持不三也 | 『シャルラタン 歴史と諧謔の仕掛人たち』 | 新評論 | 2003 | 9784794806055 |
6 | ユージンスキ | 『陰謀論入門――誰が、なぜ信じるのか?』 | 作品社 | 2022 | 9784861828942 |
7 | 大川勇 | 『可能性感覚――中欧におけるもうひとつの精神史』 | 松籟社 | 2003 | 9784879842237 |
その他 (Others) | |||||
詳細は授業中に案内します。 |
ドイツ語圏の思想史をあつかうため、ドイツ語を含む外国語の表現などがいくつか登場します。ドイツ語等の知識があることが望ましいですが、授業内容を理解する上で必ずしも必要ではありません。
講義のテーマ:啓蒙・ナラティヴ・陰謀論――18世紀ドイツの社会と思想
ドイツの近代社会の形成を理解するには、18世紀のいわゆる「啓蒙(Aufklärung)」の時代を振り返ることが役に立ちます。
当時の人々がみずから用いた「啓蒙」をキーワードに、人々がどのような関心をもっていたのか、どのような問題をどのような方法で解決しようとしていたのかを理解することが、この授業の目標です。そのために、思想史的な手法を活用しながら、18世紀の社会や文化の状況を考えていきます。
This course will concentrate on the 18th century German society and culture, dealing with such topics as Enlightenment (Aufklärung), (master) narratives and conspiracy theory.
In understanding the formation of modern German society, it is worth looking back to the 18th century.
The contemporaries used the term Enlightenment to characterize their century. From this perspective we will scrutinize what concerns they had, what kind of problems they were confronted with and how they tried to solve them.
「啓蒙」と訳される Enlightenment, Lumières, Aufklärung などの語は、いずれも「光」や「明るさ」を含意する表現であり、「知性」や「理性」の言い換えでもあります。
しかし「知性の時代」という(自己)イメージは、人々の生きる現実の社会が「知性的」と呼ぶにはほど遠かったこととまったく矛盾しません。むしろ啓蒙とは、不合理や蒙昧さに対する嫌悪や警戒心からうまれた「理想的状態」のイメージという側面を強くもつものでした。
この授業では、人々のもつこうしたイメージ・願望・危惧をとらえるためにナラティヴ(物語)に着目します。社会に広まるさまざまなナラティヴは、その言説を産み出し、受容し、拡散する人々の状況認識や期待・恐れなどの感情を読み取る手がかりになるのです。
ナラティヴの観点から「啓蒙の時代」を考察していく試みは、近年よく取り上げられる「陰謀論」と啓蒙とのつながりを示すことにもなるでしょう。陰謀論と呼ばれるナラティヴの多くは、荒唐無稽で非合理的な内容をもつものとされています。一見すると、啓蒙と陰謀論は相反するもののように思えるかもしれません。しかし、啓蒙主義者たちはしばしば陰謀論的な見方にとらわれ、積極的に流布することすらありました。
こうした観点から、18世紀という啓蒙の時代と21世紀の現代をつなぐ問題についても考えていきます。
Enlightenment, Lumières and Aufklärung – these terms have in common semantic components related to “light” and serve as a synonym for “Reason.”
This (self-)image of the “Age of Reason” doesn't contradict the fact that the reality in which people lived was far from being a “rational” one. Rather, Enlightenment was conceived as a sort of ideal state, originating from a disdain and wariness towards irrationality and ignorance.
In this course, we will focus on various narratives to capture the images, desires, and fears that people held. Narratives circulating in society can provide clues to understanding the expectations and fears of those who created, received and disseminated them.
Examining the "Age of Enlightenment" from a narrative perspective may also shed light on the connection between recent discussions on "conspiracy theories" and the Enlightenment. Narratives labeled as conspiracy theories often have contain ridiculous and irrational content. At first glance, Enlightenment and conspiracy theories may seem contradictory. However, Enlightenment thinkers were sometimes entangled in conspiratorial views and even actively propagated them.
From this perspective, we will also consider issues bridging the Enlightenment era of the 18th century and the contemporary challenges of the 21st century.
1 | 「あらゆる可能な世界のなかで最善の世界」―― 18世紀ドイツの社会と思想:序論 哲学者ライプニッツが『弁神論』(1710)で唱えた最善世界説を手がかりに、18世紀初頭における思想状況を説明します。あらゆる可能な世界のなかから創造主としての神が最善の世界を選んだというこの理論は、現実の世界を可能性の観点から見ることを教えるものです。 ゴットシェートの『批判的詩学試論』(1730)は、ライプニッツの可能世界論を文学テクストの制作に適用します。それは文学を、現状とは違う生き方を考える手段としてとらえる方法でもありました。 |
2 | 「しかし、僕たちの庭を耕さなければなりません」―― 弁神論の運命:神から人間へ ライプニッツの最善世界説(オプティミズム)は誰にでも受け入れられたわけではありません。とりわけ、数万人の死者を出したとされるリスボンの大地震(1755)は、そうした世界観の魅力を疑わしいものにしました。ヴォルテールが1759年に発表した『カンディード』は、世界を解釈する主軸がもはや宗教のように超越的なものでなく、人間社会に内在的なものに移っていたことを示すものといえます。 |
3 | 「地球にこんなにたくさんの住人がいるのに、他の惑星には全く住人がいないとしたら、大へん奇妙なことだろうなと思っているのですよ」―― 宗教的世界観と科学的世界観 フォントネルの『世界の複数性についての対話』(1686)は、ある「哲学者」が「侯爵夫人」を相手に夜空を見上げながら、宇宙の構造について語るという架空の対話です。18世紀になっても版を重ね、ドイツ語を含むさまざまな言語に翻訳されました。新しい自然科学(天文学)の知見と古くからある対話体のスタイルを結合させたこの著作の成功は、宗教的世界観から科学的世界観へのシフトが、学問(真理)の分野だけでなく、文学(ナラティヴ)の分野でも生じていたことを示しています。 |
4 | 「おとぎ話を聞かせるのは、子ども相手とはかぎらぬのだ」―― 寛容:異なる信仰同士の関係 レッシングの戯曲『賢者ナータン』(1779)の舞台は、12世紀末のイェルサレム。十字軍遠征の停戦後、ユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が同じ空間に共存するという状況が生まれました。 ユダヤ人商人のナータンは、イェルサレムを支配するスルタンから難問を突き付けられます。この三つの宗教のうち、どれが最も優れているか、と。ユダヤ教と答えれば、スルタンを侮辱することになり、残りの二つを選べば、なぜユダヤ教に留まるのかと問い詰められる。 この苦境を切り抜けるためにナータンが語る「三つの指輪」の寓話は、信条や文化を異にする人間同士が。互いの存在を排除せず生きていく可能性を示す興味深いナラティヴの実例です。 |
5 | 「啓蒙とは、自ら引き起こした未成年状態から抜け出すことである」―― 未完のプロジェクトというナラティヴと市民的公共性 カントの論文「啓蒙とは何か」(1784)は『ベルリン月報』という啓蒙主義の代表的雑誌に発表されました。「未成年状態から抜け出すこと」という啓蒙の定義は、まさしく「成長」というナラティヴにほかなりません。 ただ、「自分自身の知性を用いる勇気をもて」という彼の標語にもかかわらず、カントは啓蒙の成否が個々人の決意だけでなく、自由なコミュニケーションが保証されるという社会的条件に依存すると考えていました。そのための基盤こそ、18世紀中葉に確立する出版メディアにほかなりません。 カントの論文と同時期に進行していた『プロイセン一般ラント法』編纂の過程を参照しながら、彼の啓蒙論の意義と限界について考察します。 |
6 | 「民衆にとって欺かれることは有益か?」―― 啓蒙・ナラティヴ・民衆 ベルリン王立アカデミーは、1780年に「民衆にとって欺かれることは有益か?」という懸賞課題をかかげます。 啓蒙とは、ほとんどの論者にとって民衆の啓蒙を意味しました。その前提自体に疑いをかけるようなこの懸賞課題は、啓蒙主義者たちから驚きと怒りをもって受け止められます。 さらに驚くべきことに、この課題の発案者は、プロイセン国王フリードリヒ二世その人だったのでした。 |
7 | 「まさにその時、高く架けられた橋の上から汚物入れの異臭を放つ〇〇が滝のごとく川の流れに投げ捨てられ……」―― 市民的公共性の政治的機能(1) プロイセンの王都ベルリンは、フリードリヒ二世の治下(1740-1786)に大きく発展しました。ドイツ語圏における啓蒙の中心地にもなります。 カントの啓蒙論(1784)を掲載した『ベルリン月報』はその代表的雑誌ですが、この『月報』の編集者を中心とする秘密結社「ベルリン水曜会」は、プロイセンの社会と思想状況に関する活発な議論の場となる一方、『月報』に掲載される論考の「編集会議」のような機能も果たしていました。 会員の一人でありフリードリヒ二世の侍医でもあったメーゼンは、急速に都市化したベルリンの劣悪な衛生状況について鋭い批判の目を向けます。 |
8 | 「当地で最も自殺者が多いのはいかなる部類の人か?」―― 市民的公共性の政治的機能(2) ベルリン水曜会では、当時の知識人が関心をもつありとあらゆることが論じられています。秘密結社だからこそできたことですが、水曜会での講演原稿が『ベルリン月報』に掲載される際には、検閲を意識せざるをえませんでした。 フリードリヒ二世崩御後の1787年、メーゼンは水曜会でベルリンの自殺者について講演をおこないます。医療行政にたずさわっていた彼は、統計資料を分析し、兵士の間で自殺が突出して多いことを示しました。 ただ、講演原稿が『ベルリン月報』でも掲載されるにあたり、この最も重要な論点については公表を控えざるをえませんでした。 |
9 | 「プロテスタントの教会でカトリックの礼拝を認めるという間違った寛容」 ―― 反転する寛容 『ベルリン月報』誌上には、さまざまなテーマの論争が見られました。編者の一人ビースターがペンネームで掲載した反カトリックの論考(1784)は、当時有名な哲学者ガルヴェの反論(1784)をきっかけに、啓蒙と反啓蒙、自由と寛容をめぐる大きな論戦に発展します。 この論争のなかでビースターは、当時プロテスタントの啓蒙主義者たちの間で流布していた「旧イエズス会士たち」の陰謀という議論を援用します。啓蒙と陰謀論のつながりについて考察します。 |
10 | 「ありそうもないことだと認めるより、奇跡を信じることを望むのですか?」―― 懐疑と妄信 街中で怪しげな謳い文句で興味を集め、人々の無知につけこんでお金を巻き上げるようなペテン師は、ヨーロッパのオペラや演劇や絵画でよく目にするキャラクターです。「シャルラタン」とも呼ばれるこうした人々は、とりわけ知識人たちにとって嫌悪・危惧すべき存在だったと言えます。 ペテン師たちの目的は金銭だけでなく、王侯貴族に取り入ることで権力まで利用しようとしている――そう感じた啓蒙主義者たちは、こうしたペテン師たちと彼らに騙される人々の両者に対して、さまざまな手段で対抗しようとしました。 そうした関心を示す一つの例が、シラーの未完に終わった連載小説『招霊呪術師』(1787-89)です。迷信や妄信と闘おうとする啓蒙主義者が、なぜ陰謀論的な見方をとってしまうのか、そのメカニズムを考えていきます。 |
11 | 「プロテスタンティズムを掘り崩し、理性を屈服させようとする教皇庁の隠れたたくらみ」―― 啓蒙と陰謀論 陰謀論の本を読むと必ず目にするのが「イルミナーティ」の名前です。歴史的に実在したこの秘密結社には、1780年代半ばに禁止されるまで数多くの啓蒙主義者たちが参加しています。 イルミナーティたちは当初から、イエズス会に強い反感をもっていました。イエズス会は1773年に解散させられたにもかかわらず、その影響力はまだ衰えていませんでした。 旧イエズス会士たちがプロテスタント諸国で秘密裡に活動し、カトリック教会の影響を強めようとしている――そんな陰謀論がイルミナーティたちにより作られ、流布していくことになります。その際、陰謀の証拠とされたのが、17世紀初めに書かれた偽書『イエズス会の秘密指令書』(1614頃)でした。 |
12 | 「理性は、至高の存在者の現存在に達するという意図にはとうてい十分ではない」―― 思考および/または政治の革命 カントの『純粋理性批判』(1781)は、幾何学や天文学のような確固とした学問の成果を哲学(形而上学)にももたらそうとする意図から、「思考方法の革命」を唱えました。人間の認識能力そのものを分析し、その限界を見定めようとしたのです。 彼の考察は、人間の認識が経験の範囲を超えられないこと、言い換えると、死後の生や神についてはいかなる理論的認識もありえないという結論に行きつきました。18世紀初頭にライプニッツが、全知全能の神の創造した最善の世界という想定から出発したのとは、まったく違う思想状況が生じたと言えます。 人間の理解能力を超えるものに対する原則的な疑念は、超自然的なものに基盤をもつ権威――とりわけ教会(宗教)や国家(政治)――への批判に転じていきます。 『純粋理性批判』の八年後、1789年にはフランスで民衆の蜂起により王政が倒されます。同時代人にとって、思想と政治の分野で生じたこの二つの「革命」は、偶然の一致などでなく、まったく新しい時代の到来を告げ知らせるものとして受け取られました。 |
13 | 「貴殿はささやかな晩餐だといって招待されたのに、盛大な祝宴、友愛の祝宴を開かれるとは」―― 仮面の政治議論:公開性と秘匿性の交錯 フランス革命の衝撃は、ヨーロッパやアメリカの各地でさまざまな反応を引き起こしました。プロイセンでは、フリードリヒ二世の没後、古い体制に逆戻りするような動きが見られ、それまでは緩かった検閲も厳しくなっていきます。 ベルリン水曜会のメンバーであったクラインの『自由と所有』(1790)は、フランス革命を経て、社会制度のあるべき姿について論じた著作です。18世紀に広く使われた対話体のスタイルで書かれましたが、後年クラインは水曜会で実際におこなわれた議論をヒントにしたと語っています。 ただし、その登場人物には古代ギリシア人風の名前がつけられています。政治的状況がまったく新しいものになったにもかかわらず、知識人たちは古い様式の考察によって対処しようとしたのです。 |
14 | 啓蒙・ナラティヴ・陰謀論――これまでの議論を振り返る 授業であつかってきた18世紀のさまざまなトピックをもとに、21世紀の現代につながる問題を、受講者のみなさんと一緒に考えます。 |
板書 /Writing on the Board
スライド(パワーポイント等)の使用 /Slides (PowerPoint, etc.)
上記以外の視聴覚教材の使用 /Audiovisual Materials Other than Those Listed Above
個人発表 /Individual Presentations
グループ発表 /Group Presentations
ディスカッション・ディベート /Discussion/Debate
実技・実習・実験 /Practicum/Experiments/Practical Training
学内の教室外施設の利用 /Use of On-Campus Facilities Outside the Classroom
校外実習・フィールドワーク /Field Work
上記いずれも用いない予定 /None of the above
毎回の授業に関連するテクスト(翻訳)を共有します。授業の内容を理解するには、これらのテクストをあわせて読むことが必須となります。
種類 (Kind) | 割合 (%) | 基準 (Criteria) |
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平常点 (In-class Points) | 100 |
レポート(40%) リアクションペーパー(60%) |
備考 (Notes) | ||
なし/None
No | 著者名 (Author/Editor) | 書籍名 (Title) | 出版社 (Publisher) | 出版年 (Date) | ISBN/ISSN |
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1 | カント | 『啓蒙とは何か 他四篇』 | 岩波書店 | 1974 | 9784003362525 |
2 | シラー | 『招霊妖術師』 | 国書刊行会 | 1980 | 9784336025197 |
3 | ライプニッツ | 『モナドロジー 他二篇』 | 岩波書店 | 2019 | 9784003361696 |
4 | ハーバーマス | 『公共性の構造転換 市民社会の一カテゴリーについての探究』 | 未來社 | 1994 | 9784624011239 |
5 | 蔵持不三也 | 『シャルラタン 歴史と諧謔の仕掛人たち』 | 新評論 | 2003 | 9784794806055 |
6 | ユージンスキ | 『陰謀論入門――誰が、なぜ信じるのか?』 | 作品社 | 2022 | 9784861828942 |
7 | 大川勇 | 『可能性感覚――中欧におけるもうひとつの精神史』 | 松籟社 | 2003 | 9784879842237 |
その他 (Others) | |||||
詳細は授業中に案内します。 |
ドイツ語圏の思想史をあつかうため、ドイツ語を含む外国語の表現などがいくつか登場します。ドイツ語等の知識があることが望ましいですが、授業内容を理解する上で必ずしも必要ではありません。